さて、もうまた2ヶ月前のことになりましたが、旦那さんの厄除け参りで バイクでぴゅーんと 北野天満宮に行きました。今年、旦那さんは41歳の「大厄」にあたります。
旦那さんと私は、学年では9才差ですが、早生まれの私が年をとると旦那さんがすぐ追いかけてくるので、年間では概ね、8才差で。
出会ったとき、私は31才、彼は社会人2年目の23才でした。うちの下の弟が私の5才下で、その弟よりもさらに若い。よって当初は、お互い「京都の姉ちゃん、千葉の弟」って感じでした。
私には、小2と、1才10ヶ月の娘がいたので(バツイチ子持ちでして)その後、8年の交際期間中、会う時はいつも娘たちも一緒で、結婚に至った時、彼は31才でした。出会ったときの、私の年齢になってた。
そんなこんなで、私の中では、彼はいつまでも「若い人」なイメージがあって、実際、見た目もあまり変わらないので、ずっと、交際期間中〜結婚した当時の「20代後半〜30代前半ぐらい」の感じに思っていた人が、もう「41になる」って。
中年やん!www
いつの間に?!www
それを言うたら、私なんか49になってるのですが、自分が49になったことよりも、旦那さんが41になることのほうがびっくりしている。
このへんの感覚と驚きはたぶん、歳の離れたカップル・夫婦で「自分が年上のほう」の方には、共感していただけると思います笑
てなこともありつつ、
本殿(国宝)
御祭神は、菅原道真公。太宰府へ左遷された道真公は、失意のうちに亡くなられ、その後、京の都では天候不順や政治の混乱が続き、それらの災いは、道真公の怨霊が原因だとして恐れられていました。道真公の乳母をつとめた多治比文子(たじひのあやこ)が自宅の庭に小さな祠をもうけて道真公を拝んでいたおり、第61代・朱雀天皇の天慶5年(942年)文子のもとに道真公から「北野の右近の馬場に祀ってもらいたい」とお告げがあり、第62代・村上天皇の天暦元年(947年)現在の地に鎮座されました。北野天満宮は、二十二社の下八社(北野社)で、社格は官幣中社です。
と、この文章は、以前にお参りしたときの記事の まるごとコピペ です。
厄除け参りといえば八幡宮、京都では石清水八幡宮が有名ですが、今回、天神さんへお参りをしたのは、いま我が家は北野天満宮の氏子地域であるからです。ちなみに、私の実家も北野天満宮の氏子地域で、天神さんには幼い頃からよくお参りに行っていました。
京都では、区域(小学校区)によって氏神さんが決まっており、むかし、母方(京都)の先祖一族代々で暮らしていた母家のあった区域の氏神さんは、祇園さん(八坂神社)でしたが、母が生まれ育ったときの家の氏神さんは、今宮神社でした。このように、同じ家系・家でも「現在の住まい」の場所によって氏神さんが変わり、地元の小さな神社の氏神さんもありますが、大きくは、御霊神社(御靈神社)・下御霊神社・今宮神社・北野天満宮・八坂神社・藤森神社・伏見稲荷大社・松尾大社 と、8社に氏子が分けられています。
と、この文章も、以前にお参りしたときの記事の まるごとコピペ です。
すんません!www
天神さんゆかりのことはもう何回も何回も書いてるのでwww
「天神さん」関連記事
話、戻って、
厄除けのお参りをしまして、なんかこんなんがあったから、やっておきました。(言いかた)
名前を書いて、バキッと割って、片方を奉納し、片方をお守りとして持っておくそうです。
旦那さん「どうぞお守りください(手を合わせる)」
私「どうぞお守りください(手を合わせる)」
旦那さん「お賽銭(奉納料)入れてなかったw」
私「入れて!www 今すぐに!www」
家に祀っておく御札も、拝受してきました。
私「祀る向きがあるのよね、調べないと」
旦那さん「西向きは嫌だ、とか?w」
私「(道真公)西は嫌だ!西だけはやめてくれ!ww」
道真公、呆れてはると思う。
ただ、ひとつだけお伝えしたいことは
「この人といると愉しくて、幸せです」
また、来ますね。
【リンク】https://kitanotenmangu.or.jp/
この日は、梅苑の開催終了の前日でした。
上七軒 歌舞練場では、北野をどりの準備も。
お昼ご飯は、こちらでいただきました。
とんかつ 豚ゴリラ・本店
私は、いつものおろしとんかつ膳を。
美味しかったです。御馳走さまでした。
【リンク】とんかつ豚ゴリラ(二条城/とんかつ) - Retty
関連記事