さて。
崇徳天皇御廟のお参りから始まり、水火天満宮、北野天満宮、白峯神宮、神泉苑、御靈神社、下御霊神社、梛神社…と、ひとり御霊会 をおこなっているかのような参拝記事を連ねておりますが、本日は、こちらからのお導きで。
八坂神社
創祀は、第35代および第37代・斉明天皇2年(656年)とも、第56代・清和天皇の貞観18年(876年)ともいわれています。
素戔嗚尊(スサノオノミコト。牛頭天王※諸説あり)が防疫神と崇められていることから、疫病除け・厄除けの御神徳があり、日本三大祭のひとつ、八坂神社が主体となり毎年7月におこなわれる祇園祭(祇園御霊会)も、疫病守護を祈るお祀りです。
御霊会の起源は、こちらの関連記事にて
西楼門(重要文化財)
四条通の突き当たり。こちらはガイドブックの写真などでよく見るほうの門ですが、
南楼門(重要文化財)
南側にも楼門があり、実はこちらが正門です。したがって、
舞殿(重要文化財)
南楼門をくぐった正面に舞殿があり、
本殿(国宝)
舞殿の奥に、本殿があります。
八坂神社は、慶応4年に改称するまで「祇園社」とされていたので、祇園社の墨書きの上に、八坂神社の御朱印を賜りました。
また、八坂神社の境内にはたくさんの摂社があり、中でも今回は特に、こちらを併せてお参りしておきたかった。
疫神社(重要文化財)
御祭神は、蘇民将来命。
昔、牛頭天王が諸国巡りに際し、一晩の宿を求めたところ、蘇民将来は裕福ではなかったけれど精一杯のおもてなしにつとめたことから、牛頭天王が「我は素戔嗚尊である」とそこで身分を明かされ、この先、疫病が流行ったときには茅の輪を目印として付け「蘇民将来の子孫である」と申せば、一族を護ってやるとお約束を賜ったとのいわれがあります。
祇園祭の各山鉾の粽(ちまき)に「蘇民将来之子孫也」の札が付いてるのは、そのいわれからです。
ちなみに、我が家は「郭巨山」の粽をお祀りしています。
【リンク】祇園祭 郭巨山公式サイト「世界遺産 京都の日本三大祭」
茅の輪くぐり
「蘇民将来子孫也」と唱えながら、8の字にくぐります。よって、
「我ら 世界人類皆、蘇民将来子孫也」
と唱えながら、くぐって参りました。
【リンク】八坂神社
お昼ご飯はこちらでいただきました。
三味洪庵 本店
創業は、第121代・孝明天皇の文久元年(1861年)初代は鳥取藩の勘定方をつとめておられ、上洛の折、岩倉具視公の命を受け、船で運ぶ食材の仕入れや販売をする商いを仕ったのが始まりだそう。
玄関には舞妓さんの団扇がずらりと。祇園の花街が近い、東山ならではといった感じです。
東山・祇園界隈のお店ならではといえば、もうひとつ。
各テーブルに、七味の老舗、祇園・原了郭さんの黒七味と一味が。
【リンク】祇園 原了郭
天井が高い、京町家づくりの店内。
テラス席は白川のせせらぎが臨め、なんとも風流です。私が入店したときはテラスは満席だったのですが、皆さん開店してすぐに来られたのか、一斉に退店され、がらーんと。笑
今日はこちらの店内や、東山〜八坂神社の周辺で、着物で来ている観光客を述べ30人ほど見かけました。着物で歩くにも良い気候かも。
店頭でメニューをパラパラと見ていて「湯葉あんかけ蕎麦」にしようと思っていたら、店内でおすすめメニューをいくつか見せてもらい、ならばと、冷やかけの「すだちとろろ蕎麦」を。
今日は秋晴れの良い天気で、サッパリすだちの冷やかけにして大正解!
美味しかったです。御馳走さまでした。
お参りのあと少し甘い・冷たいものが食べたくなり、西楼門を出て、東大路通を渡ってすぐ向かいのこちらへ。
京生麩専門店 祇園 京くらら
こちらは生麩のお店で、豆腐のジェラートもあったのですが、オーソドックスな抹茶を。笑
"Have a good day"
いいですね。観光地のお店って感じのメッセージ。
美味しかったです。御馳走さまでした。