さて。
「このところ、御霊会のお参り→ 御霊神社、下御霊神社、神泉苑を参拝してきた - お出かけブログ をされていますね。どうぞこちらへも、お参りなさい」と、八坂さん(八坂神社)から呼ばれているのだが、
「八坂さんへ、お参りをされますか。でしたら、どうぞこちらへ」と、さらに梛の宮さん(梛神社)が降りてこられており、今日仕事が終わってから足が向き、お参りしてきました。
北側の鳥居
東側の鳥居
梛神社・隼神社
本殿
向かって左が梛神社、右が隼神社。
いずれも毎朝、新型コロナウイルス終息祈願をされているそう。
第56代・清和天皇の貞観11年(869年)京の都に疫病が流行し、疫払いの鎮めのため牛頭天王(素戔嗚尊。※…であると牛頭天王が名乗られた等、諸説あり)を播磨国広峰(現在の姫路)より勧請し、東山の八坂にてお祀りする前にこの地の梛の林中に祭祀し、八坂の地に遷座される際、花傘を立てて神輿を送った由緒(祇園会・祇園祭の起源)から、梛神社を「元祇園」と称し、京都では「元祇園(もとぎおん)さん、梛の宮(なぎのみや)さん」と親しまれています。
隼神社は、延喜式にも記載されている式内社(大社)で、元は朱雀院(天皇が譲位され、上皇となられてからの後院・離宮のひとつ)内にて祀られていたとされており、後に、この梛神社の敷地内に併祀されました。
朱雀院跡
梛神社から少し北西に歩いた辺り、四条通を挟んだ向かい(北側)に、朱雀院跡の石碑が建てられています。
この石碑、日本写真印刷(NISSHA株式会社)という、京都が誇る大手印刷会社さんの敷地内に建てられており、外からでも見えるようにフェンスの一部が開かれています。
あえて看板は立てていないが、
「敷地の中へは入らんと、外から見ておくれやす」
という、京都流のメッセージを感じますね。←
話戻って、
摂社・田中神社
御祭神は、地主神。
摂社・稲荷社
御祭神は、上川稲荷大神。
本殿の左右にならい、見開き左に梛神社、右に隼神社、と、印してくださいました。
てか最近の記事、完全に「寺社参拝ブログ」になってるな。笑
ブログに書くほどでもない「バイクお出かけ」は、ちょいちょいしてるんですけどね。
TSUTAYAに映画のDVDを借りに連れてもらったり。笑