さて。過日、といっても、京都に3度目の緊急事態宣言が発出される前の2021年4月末まで遡るのですが、西院の春日神社をお参りしたとき→ 春日神社を参拝してきた - お出かけブログ から、次はこちらへの導きがあったものの、新型コロナウイルス感染拡大の第4波、第5波にての行動自粛や、猛暑の中で出かけることを避けていたこともあり、春日神社の参拝から5ヶ月を過ぎた今日、仕事終わりに思い立ち、旦那さんの バイクでぴゅーんと 連れてもらいました。
西四条斎宮・西院野々宮神社
御祭神は、倭姫命(ヤマトヒメノミコト)、 布勢内親王(ふせないしんのう)
御利益は、心願成就、女人守護。
野々宮(ののみや。漢字二文字で、野宮とも表記される)とは、天皇に代わって伊勢神宮の天照大御神にお仕えする斎王(さいおう/斎皇女・いつきのみこ)に選ばれた皇女が伊勢へ赴かれるまでの間、約1年間の潔をおこなわれるために築かれた聖地・斎宮(さいくう/さいぐう)のことで、各地に残る「野々宮」の名称はこの地が発祥とされ、西四条斎宮(野々宮神社)は、現存する斎宮の中で最もその風情をとどめるともいわれています。斎宮は一代にて取り壊されては、またあらたに建てられ、平安時代、その多くは、洛西の地に築かれたといわれます。
二柱の御祭神はともに、斎王としてお仕えされた方で、倭姫命は第12代・垂仁天皇の第四皇女で「初代の斎王」をつとめられ、布勢内親王は、第50代・桓武天皇の第五皇女で「平安京に都が遷されてからの最初の斎王」をつとめられました。
西四条斎宮は、延暦16年(797年)8月21日に布施内親王が、承平2年(932年)9月28日には第60代・醍醐天皇の第十皇女の雅子内親王が、御禊にお入りになられました。
手水舎
拝所、本殿
この奥に、本殿があります。
現在の社殿は、第118代・後桃園天皇が安永4年(1774年)御所の賢所(かしこどころ。宮中の神殿)を寄進されて、造営されたものです。
近くには会社や学校などもある住宅地でありながら、この一角だけは大きな木々に囲まれ、静かで独特の雰囲気が漂っており、厳かな空気に包まれています。
また現在では、野々宮神社は、西院春日神社の境外別宮であり、御旅所でもあります。御旅所(おたびしょ)とは、神社の祭礼(神幸祭)において神様の神輿が巡行の途中で休憩をされる場所、或いは目的地をさします。よって、西四条斎宮・野々宮神社の御朱印は(鏡の御印・かがみのみしるし、といわれる)西院春日神社で拝受します。
西側・一の鳥居
いつもは表にあたる東の鳥居からお参りしますが、今日は駐車場がある裏の西の鳥居から。
二の鳥居
神輿倉
拝殿、本殿
野々宮神社をお参りしてきたご報告を。
御朱印は、こちらでお受けします。
【リンク】西四条斎宮 西院野々宮神社 (春日神社御旅所) | 西院春日神社について | 春日神社 | 京都市右京区西院
お昼ご飯は、こちらでいただきました。
吉野家・西京極七条店
でたー!吉野家www
今さらながらハマってる「吉野家」www
そう、昨年、記事で書きましたが→ 吉野家の定食にハマる。 - お出かけブログ 私はこれまでの人生で、吉野家的な「チェーンの牛丼屋さん」へは2回ほどしか行ったことがなく、だが、昨年から旦那さんとバイクでちょこちょこ出かけるようになって、今さらながら、そのての牛丼屋さんの定食セットにハマってしまったのだ。
西京極七条店はうちからはちょっと遠いんですが、今日は西院から西(洛西方面)へ向かうことと、ここは駐車場があることから、一旦、七条まで南下してぐるっと回って四条へ北上するルートでいこうと。
今日は、ねぎ塩牛カルビ定食をいただきました。吉野家の「ねぎ塩だれ」あれほんま美味しいわ〜。旦那さんは、牛丼大盛Aセットをいただきました。
美味しかったです。御馳走さまでした。
【リンク】吉野家公式ホームページ
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