お出かけブログ

旦那さんの通勤用のビッグスクーターをじわじわタンデム仕様にして(◎させて)お出かけを迫る奥さんのブログです。寺社への参拝記事も書きます。

大覚寺、覚勝院を参拝してきた

さて、先日の休み、旦那さんと バイクでぴゅーんと 大覚寺を参拝してきました。

 

旧嵯峨御所 大覚寺門跡

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御本尊は、不動明王を中心とした五大明王真言宗大覚寺派大本山です。

平安初期、第52代・嵯峨天皇がこよなく愛された葛野(かどの)の地(現在の嵯峨野)に、檀林皇后とのご成婚の新室として離宮嵯峨院を建立されたのが前身で、第53代・淳和天皇の第ニ皇子・恒寂入道親王を初代門跡として開創された貞観18年(876年)、大覚寺となりました。
第90代・亀山天皇の文永5年(1268年)には後嵯峨上皇が第21代門跡を、第94代・後二条天皇の徳治2年(1307年)には後宇多法皇が第23代門跡を務められ、院政を行われました。これらの由緒から「嵯峨御所」とも言われていました。

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以後、明治の初頭まで代々天皇もしくは皇統の方が門跡を務められた格式高い門跡寺院で、近くには、嵯峨天皇陵(嵯峨山上陵)、後宇多天皇陵(蓮華峯寺陵)があります。

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嵯峨天皇の后・檀林皇后は類い稀なる麗人であったと伝えられ、仏教への信仰が篤く、この葛野の地に日本最初の禅院・檀林寺を創建されたことから、檀林皇后と呼ばれるようになりました。

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「てか、関連記事多いなww」

「ですよねww」

 

京都の寺社(寺院、神社)は天皇家とゆかりの深い由緒があるところが多く、それゆえ歴史的な繋がりがあったりもして、寺社参拝の記事を書くほどに関連記事が増えていきます。笑

 

表門
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弘法大師空海のすすめにより嵯峨天皇が浄書された般若心経が勅封として奉安されたことから、般若心経写経の根本道場としても知られています。
また大覚寺は、いけばな発祥の寺で「いけばな嵯峨御流」の総司所(家元)でもあり、境内は時代劇やドラマのロケ地としても有名です。

 

明智

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表門の隣にある明智門と、奥に続く明智陣屋は明智光秀が居城としていた亀山城の一部を移築したものとされていて、城の一部であったことから、こちらも時代劇等の撮影が多く行われています。

 

式台玄関

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この左手にある入り口(納経所)がお堂エリアの参拝口となっていて、ここで拝観受付をします。拝観は、お堂エリア、大沢池エリアに分かれていて、この日はお堂エリアのみ拝観。お堂内は撮影禁止となっているので、ところどころ外観のみを。

 

宸殿(重要文化財

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宸殿は門跡寺院ならではの格式高い建物で、こちらは第108代・後水尾天皇より下賜されました。

宸殿正面には、右近の橘と左近の梅。有名な左近の桜よりも左近の梅のほうが、古くからのしつらえの歴史があるそうです。

 

五大堂(本堂)

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中央にあるのが石舞台、奥に見えるのが勅使門。勅使門は、天皇詔勅を伝える勅使参向の際に通行する専用門で、こちらも門跡寺院に多く見られます。
左に見える五大堂(本堂)には、五大明王不動明王降三世明王軍荼利明王大威徳明王金剛夜叉明王)が祀られています。

写真は撮っていませんが、第123代・大正天皇の御即位に際して建てられた饗宴殿を式後賜って移築された心経前殿(御影堂)には嵯峨天皇弘法大師後宇多法皇、恒寂入道親王の尊像が祀られ、東山にあった安井門跡・蓮華光院の御影堂を移築された安井堂(御霊殿)には後水尾天皇の坐像が祀られていて、それぞれお参りして回りました。

宸殿と心経前殿を結ぶ回廊(村雨の廊下)は、高貴な人が通られる際の防犯の意味で、刀や槍を振り上げられないように天井は低く造られ、床は鴬張りになっています。

 

勅封心経殿

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殿内には嵯峨天皇をはじめ、北朝第4代・後光厳天皇、第102代・後花園天皇、第105代・後奈良天皇、第106代・正親町天皇、第119代・光格天皇の宸翰勅封般若心経が奉安され、薬師如来像が祀られています。
奥の朱塗りの建物は霊明殿で、御本尊の阿弥陀如来、霊明殿を移築された真言宗大覚寺派初代官長・第52代草繋門跡が祀られています。
お堂エリアにはこのほかに、正寝殿、庭湖館、秩父宮御殿があります(通常非公開)

 

大沢池(名勝)

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五大堂(本堂)の観月台から臨む大沢池(おおさわのいけ)です。大沢池は嵯峨天皇離宮嵯峨院の造営にあたり、唐(中国)の洞庭湖を模して造られた日本最古の人工の林泉(林や泉水等がある庭園)です。

手前に咲く「嵯峨菊」は嵯峨天皇がその気品ある姿と香りを好まれた風情と格調をかねそなえた古代菊で、永年にわたり王朝の感覚を持って育成されている大覚寺「門外不出」の特別な菊です。

 

御朱印

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【リンク】旧嵯峨御所 大本山 大覚寺 – 真言宗大覚寺派の本山。代々天皇もしくは皇統の方が住職を務めた格式高い門跡寺院。平安時代初期、嵯峨天皇が建立した離宮嵯峨院が前身。また、いけばな発祥の地であり「いけばな嵯峨御流」の総司所でもある。

 

続きまして、大覚寺の門前に唯一残る塔頭寺院を参拝。

 

別格本山 覚勝院

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覚勝院は今から700年前、摂政、関白の子息が出家して、法皇の法流を継承する院家の住坊として建立され、今なお、嵯峨天皇の御こころと弘法大師空海の教えを伝え、嵯峨天皇の陵をお守りする聖舎・大覚寺を守護されています。

 

本堂

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御本尊は、十一面観世音菩薩。御本尊とともに歓喜天、聖天様(嵯峨聖天)が祀られています。

本堂は、第114代・中御門天皇の正徳元年(1711年)、徳川家宣江戸幕府第6代将軍)の寄進によるもの。

古くから嵯峨御所・大覚寺の院家として御所の法流お預りのお寺で、歴代住職は公卿であったこともあり、特に第122代・明治天皇のご生母・慶子姫とは極めてご縁が深く、明治天皇ご生誕の際は「おはら帯」を加持し、献上されました。

その、慶子姫(中山慶子)の姪であり、明治天皇の従姉妹にあたる中山南加が母方にあることから、皇室と姻戚関係となったのが侯爵・嵯峨家ですが、のちに日本と満州(中国)の絆を強くするため、南加の孫である嵯峨家の長女・浩が、満州国皇帝愛新覚羅溥儀の皇弟、溥傑と結婚しています。いわゆる政略結婚であり、大変なご苦労をなされながらも、おふたりはとても仲の良いご夫婦だったといわれます。

 

御朱印

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【リンク】京都 | 嵯峨野 | 大覚寺塔頭|別格本山覚勝院

 

さて、お昼ご飯ですが。

実は、大覚寺から近い嵯峨嵐山駅付近にあるお店で食べようと目星をつけていたのですが、この日は日曜日で、嵐山の観光客でいっぱいでした。

とはいえ、一時期に比べるとまだ全然、人通りが少ないねと話していて、

旦那さん「外国人観光客がいないからね」

私「あー。たしかに」

ただ、嵐山付近は今日は何処も混んでいるだろうということで桂川沿いを少し南下し、このあとの参拝時間のことを考え、観光客がわざわざ行かない(絶対空いてる)お店 を狙いまして、

 

すき家・四条梅津店

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デターーwww

またしても「チェーンの牛丼屋さんで牛丼以外のものを食べる」の巻ww

鮭定食・ご飯ミニをいただきました。旦那さんは牛丼をいただいていました。笑

美味しかったです。御馳走さまでした。

【リンク】すき家

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