さて。
先日行けなかった三千院→ (前編)京都大原に嫌われ、滋賀草津に好かれた日 - お出かけブログ はまた旦那さんにバイクで連れてもらうとして、今日は、青蓮院門跡をお参りしてきました。
青蓮院門跡(粟田御所)
青蓮院は、天台宗・三門跡、京都五箇室の門跡寺院で、かつては比叡山延暦寺の僧侶の坊であったのが、平安時代末期、鳥羽法皇(第74代・鳥羽天皇)が行玄大僧正に帰依され、第7皇子を行玄の弟子として入寺されて以降、明治まで多くの皇族出身者が門主を勤めてこられました。
また、天皇が仮御所としてお住まいでもあったことから、先月参拝した北西の御室(おむろ)にある仁和寺の「御室御所」に対し、東山の粟田口にある青蓮院は「粟田御所」とも言われていました。
いつも寺社参拝の記事では、最後にHPをリンクしていますが、今回は訳あって先にご紹介します。
【リンク】天台宗 青蓮院門跡
青蓮院さんのHPはデザイン的にも美しく、見やすく設計されていて好きなのだが、本文にも注目したい。
例えば、以下、青蓮院について のページから、歴代門主について。原文ママ。
慈圓は、時代の流れにも積極的な理解と対応を示し、当時まだ新興宗教であった浄土宗の祖法然上人や、浄土真宗の祖親鸞聖人にも理解を示し、延暦寺の抑圧から庇護致しました。それ故、現在でも青蓮院は、浄土真宗との関係は深いのです。浄土真宗の祖親鸞聖人は、上記慈圓門主のもとで得度したため、青蓮院は同宗の聖地の一つとなっています。
意訳すると、
むかーし、浄土宗、浄土真宗が
うちの親方(延暦寺)にイケズされてるのんを
「親方、もうそないイジメたらんといたって」
言うて、ワシが止めてやったんやで。
あれみーんな、ワシが育てたようなもんや。
圧が強いwww
拝観のご案内 のページでは、
八坂神社から徒歩10分、知恩院の北隣にございますので、東山にお越しの際は、是非もう一歩足を伸ばして青蓮院までお越し下さい。
と、控えめかのようにおっしゃっていますが、
圧が強いwww
もうねぇ、なんか大好きですwww
ちなみに我が家の宗派(浄土宗知恩院派)の総本山は知恩院なので、
青蓮院にいさん!その節はありがとうございましたwww
てなこともありまして、殿舎を拝観。それぞれの殿舎は、渡り廊下で繋がっています。
拝観受付の寺務所で集印帳(寺院では御朱印帳ではなく集印帳といわれる)をお預けし、拝観している間にお印をいただき、帰りに拝受するシステム。
華頂殿
宸殿
宸殿は歴代天皇の御尊牌を奉安する、門跡寺院ならではの建物です。
小御所(旧・仮御所)
本堂の青不動明王(国宝)もお参りしたのですが、撮影禁止とされていました。
なお、国宝・青不動は、青蓮院の奥の山頂・将軍塚にある青龍殿の収蔵庫に安置されているそう。
御朱印をいただいた後、お庭をご覧になってお帰りくださいと案内されたのだが、そのお庭(庭園)が、迷路のようになっていて…
順路に沿って歩いているのだが、だんだん、森の中に迷い込んでいるようで、不安になる…
と、それを見越しているかのように、たびたび立ててある「順路」の札。
ほっ、合ってる合ってる。
日𠮷社(日吉社)と、出口の分かれ道。
よかった、道を間違えてなかったぞ!
今日は、今日はもう、おいとま致します!
私は造園についてまったく無知なのですが、お庭を見て廻ったラストに、こんな立札が。
あ、はい。お疲れさまでした…。
鐘楼
拝観中、何処かでえらいゴンゴン鐘鳴ってるなーと思っていたが、こういうことだったか。
御本尊・熾盛光如来のお印を賜りました。
このあと知恩院さんにもお参りしようと思っていましたが、心の容量が満たされたような感じで、このまま帰ることに。
青蓮院は、なんしか圧が強い…笑
お昼はこちらでいただきました。
吉祥菓寮 祇園本店
江戸時代中期、桂離宮横に構えられた菓子茶房をルーツとされ、13代のち、昭和9年(1934年)「桂華堂」として創業。
その後、今の屋号に改められた豆菓子・きな粉のお店で、昨今は、喫茶・飲食ではパフェがインスタ映えすると人気だそうで、コロナ前は開店の1時間ぐらい前から順番待ちの整理券を発行されていた模様(現在中止)
今日行った時は5分ほど、1階のショップを見ていたら、すぐ呼ばれました。
先ず出てくる、お冷や(お水)と、きな粉。笑
うわさのパフェと、名物の本わらび餅・自家焙煎きな粉。私は今日は食事がしたかったので、
とろ湯葉とちりめん山椒茶漬けを。
温かい豆乳のお出汁をかけて、少しずつ崩しながらいただきました。
美味しかったです。御馳走さまでした。
【リンク】祇園本店 – KISSHOKARYO